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世界的な著名人の文字から、道ばたで拾った名もなき字まで。
くせ字蒐集家の井原奈津子氏が採取した、
めくるめく「くせ字」の世界を紹介する書籍
『美しい日本のくせ字』が今秋発売となります。
こんな字を書く人は、いったいどんな人なのか?
想像しながらお楽しみください!


#010
『暮しの手帖』の字
元副編集長・二井康雄さんの字

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1992年(平成4年)7月に開催された『流行歌どこまで聞ける会』のプログラムの一部。
この会の第88回『珍品堂コレクションの珍品度を採点する』より


 こちら、二井康雄さんの字は、ツイッターでの、あるつぶやきがきっかけで知った。「展覧会を開催します。雑誌『暮しの手帖』の、元・副編集長による味のある手書き文字、二井フォントの世界をお楽しみ下さい」。『暮しの手帖』の字、といえば、表紙のタイトルから記事の見出しまで、編集長だった花森安治さんが書いていたということで有名だ。展覧会のチラシを見ると、その花森さんの字とそっくりである。しかしこの字を書かれたのは、副編集長だった二井さんだという。一体どういうことだろう。

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 『暮しの手帖』は、1948年の創刊から30年ほどのあいだ、花森さんが、すべての手書き文字を書いていた。私は手書き文字を見るのが好きだが、出会う文字すべてに対して何かを感じたり、考えたりするわけではない。「人の印象」と一緒だ。初対面の人になにかを思うこともあれば思わないときもあり、すれ違っただけの人でも、ふと気になったりするのと似ている。
 「私の知らない昭和」に惹かれ、古本屋で何冊か買ってときどき眺めていた『暮しの手帖』。そこに溢れる手書き文字についても、好みだな、素敵だなと感じながらも、意識的に考えたことはなかった。しかしその字を花森さんが書いていたことと、花森さんが亡くなっているのは知っていたので、冒頭のつぶやきを読んで混乱したのだ。花森さん以外にも、私が気づかなかっただけで同じような字を書いていた人がいたのだろうか。私が持っている『暮しの手帖』の字は、誰が書いていたのだろうか?
調べると、花森編集長が亡くなってからは、社長の大橋鎭子さんが書き文字を引き継ぎ、二井さんもその一人だとわかった。私が見ていたのは年代の古いもので、やはり花森さんの字だったようだ。

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 さて、いざ展覧会に行って二井さんの字の作品を見たら。とても素敵!やはり『暮しの手帖』の字に似ていて、にわかには違いがよくわからない。しかし私は不思議と、こちらの字の方が好きだ、と思った。
 『暮しの手帖』は、花森さんの志が強く反映されている雑誌であり、そこに使われた手書き文字も花森さんの魂そのものといえばそうかもしれないが、「内面が出ている字」というよりは「記事のためにデザインされた字」であろう。また、そうでなくてはいけないとも思う。
 雑誌のために書いたというのと、展覧会のために書いたという違いが大きいかもしれないが、二井さんの字には、『暮しの手帖』の字に感じる、強さや誠実さ、ユニークさに加えて、「語りかけてくるような親しみやすさ」を感じた。『暮しの手帖』の字は、私にとっては近寄りがたく、重かったのかもしれない。『暮しの手帖』を興味深く眺め感心しながらも、理解したり受け止めたりすることは出来ていなかったのだと、二井さんの字を見て気づいた。
 二井さんの字は〝自然に〟見える。「自然に見える字」というのは、その人の生きてきた跡を感じさせ、自分以外の何かになろうしておらず、主張はオブラートに包まれていて、読みやすい。「自然に見える字」を書くには、その見た目とは裏腹に、険しい道のりなのではないか。精神面の充実に加え、「常に字を書いている人」にしか到達できないように思う。
 「自らを楽しんでいる字」。眩しく眺めていた『暮しの手帖』は、この字の向こうに見えるかもしれない。

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展覧会で制作した色紙






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Profile
井原奈津子
くせ字愛好家。1973年、神奈川県生まれ。
多摩美術大学卒業後、主にエディトリアルデザインに関わる。
現在は筆耕、習字の指導などを行う。
「くせ字練習会」など手書き文字のワークショップも開催。