ニューヨークに本拠地を置き、デジタルマーケティングに関するさまざまな情報を送り届ける国際的メディア『DIGIDAY』。これまで、ニューヨークのほか、ロンドンにも支局を設立していた同メディアを日本独自にローカライズし、2015年9月より運営を開始したのが『DIGIDAY[日本版]』だ。
同メディアの編集長を務め、国内外のさまざまなデジタルマーケティング事例に深い知見を持つ長田真氏に、『DIGIDAY[日本版]』というメディアの持つ意義、また、日本のスモールチームにおけるデジタルマーケティングの可能性を聞いた。
“デジタルマーケティング”の
価値・考え方を根付かせたい
「『DIGIDAY[日本版]』は、開設当初から多くの人に読んでもらえているという印象があります。というのも、すでにお付き合いのあった広告代理店やブランド企業の方などから“読んでいるよ”と言われることが多いのです。これまで、私はいくつかのWebメディアの立ち上げに携わったことがあるのですが、ローンチしてわずか数ヶ月の時点で、これほどの直接的な反応を得たメディアは、ほかにあまりありません。
ちなみに、いままで手がけてきたのはBtoCのサイトなので、BtoBのサイトとなる『DIGIDAY[日本版]』とは、もちろんリアクションも違ってきますが、デジタルマーケティングというジャンルへの関心の高まりは痛感しています。これまで、“マーケティング”に関するメディアはいくつかあったのですが、“デジタルマーケティング”に特化したメディアが他になかったということも注目を集めた大きな理由のひとつかもしれません。
アクセスを解析すると、ブランドのマーケターが海外の最新事例や動向を探すといった読み方をされていることが多いみたいですね。国内外の最新ニュースのみならず、さまざまなエグゼクティブや識者のオピニオンも掲載しているので、いろいろ参考にしていただいているようです。
その一方で、まだ日本には“デジタルマーケティング”という考え方がちゃんと根付いていないとも感じています。なので、業界全体をデジタルシフトへ導いていくことが、我々の最大のミッションだと思っています。」
DIGIDAY[日本版]は、米「DIGIDAY」が日々配信する最新のデジタルマーケティング情報をいち早く翻訳し紹介するメディア。記事カテゴリが"Brands"、"Agencies"、"Punblishers"など、独自の切り口でまとめられている。
http://digiday.jp/
デジタルマーケティングの現場を報じていくうえで、日本企業における縦割り構造の組織体制や、マーケターを出自としたCEOが海外に比べてほとんどいないこと、さらにテレビというレガシーメディアがいまだ強い影響力をもつという実態から、そのような考えに至ったという長田氏。特にデジタル化を遅らせている要因のひとつとして、マーケティングの成果を測るためのグローバルで統一された指標が存在していないことを挙げる。デジタル化によって、さまざまなデータを収集できるようになってはきたものの、それをどのように読み解けばいいのか、また、それを次の機会にどのように繋げればいいのか、多くのマーケターは迷っている。
「たとえば、昨年NHKで放映された大河ドラマ『真田丸』のなかで、小日向文世さん演ずる豊臣秀吉が太閤検地の実施方法を思いついたシーンが印象的でした。それまで各国の石高を測る明確な手段がなかったのですが、米の量を測る升(ます)の大きさがそれぞれの国でマチマチだったことに彼は気づいたのですね。戦国時代でもデータは活用されていましたが、秀吉以前は米の収穫量のデータにいまいち整合性がなかった。
いま日本に限らず、世界中のデジタルマーケティング業界は、この升の定義の仕方について、躍起になっているところです。これまでは、単純にページビューやユニークユーザーなどで効果のほどを測っていたのですが、本当のゴールはそこでいいのかという議論が活発になってきているんですね。」
しかし、日本で“デジタルマーケティング”という考え方が根づいていないとはいえ、書籍『挑戦者たちに学ぶデジタルマーケティング』内でも紹介しているとおり、国内にもデジタルマーケティングを巧みに用いて、ビジネスを飛躍的に発展させている企業があることも確かである。それだけでなく、デジタルマーケティングをきっかけにビジネスを発展させることのできる可能性に満ちたスモールチームも数多くあるのではないのだろうか。そのようなチームは、一体何を足がかりにデジタルマーケティングに取り組むべきなのだろう。
自社のビジネス業態を改めて捉え直すことが
マーケティングのスタートライン
「スモールチームのビジネスに限らずとも、まずは自社のビジネスモデルがどういう形態にあるのか、そこを一度見直すことが必要なのではないでしょうか。ロイヤルカスタマー(編注:企業や商品、ブランドに対して忠誠心の高い顧客のこと)が中心の事業なのか、それとも、とにかく新規顧客を捕まえて薄利多売を重ねなければいけないビジネスなのか。もしくは、その中間なのかによって、デジタルマーケティングにおける打ち手は全然違ってくるでしょう。
たとえ、“ロイヤルカスタマーだけを相手にしていれば、しっかり食べていける”業態でも、もっと事業を拡大していかなければならないのであれば、より多くの人にリーチする必要が出てきますよね。まずは、そういう自社ビジネスの現状と課題を一旦整理して、そのうえでどのような戦略を取っていくのかが、第一歩として重要だと思っています。」
「また、データ分析といっても、自社のデータだけでなく、世の中のデータをうまく用いることも有効でしょう。『DIGIDAY[日本版]』でも表記統一にGoogleにおける検索ワードを参考にしています。利用しているのは『Google Trend』という、世の中の人々がどんな言葉を検索しているか調べることができる無料のWebサービスです。それで試しに、TwitterやFacebookというワードを参照すると、“Twitter”“Facebook”と、アルファベットのまま検索されていることが多い。
ですが、Instagramだけは、なぜかカタカナで“インスタグラム“と検索されていることが多いんです。なので、“インスタグラム“に関してはカタカナで表記しています。そうすれば、SEOで優位に働く可能性が高まるので。
そして『Google Trend』では、検索される量だけでなく、時期も知ることができます。以前、とあるオウンドメディアの立ち上げ案件に関わった際に、『Google Trend』で”ハム”の検索数を調べたことがありました。そうしたら、なぜか5月だけ毎年検索ボリュームが上がるといった傾向が表れたんですよね。どうやらその時期に”飾り切り“というワードと一緒に調べられている。そこで、新生活が始まって、お弁当のレシピに悩んだ主婦層が”ハム”の”飾り切り”を検索しているのではという仮説を立てたことがありました。残念ながら担当を離れてしまったので、それを実際にコンテンツに結びつけるところまで至りませんでしたが、このような情報を足がかりにマーケティング戦略を練っていくことは、今すぐにはじめられることのひとつなのではないでしょうか。
本当のことを言うと、考えられること全てを実施したうえで、データ分析を行い、最適化していくことがデジタルマーケティングの要のひとつではあるのですが、そうはいかない部分もありますよね。ですので、スモールチームであれば、ファネル(編注:直訳すると漏斗の意。見込み客から受注へと絞り込まれるステップのことを例えた語)の中でどこが一番重要なのか、絶対に外せないところをはっきりと抑えることがまずは重要だと思います。」
スモールチームだからこそ苦しむ
“予算”という問題を乗り越える
たったひとつの方法
ファネルの中でどこが最も重要なのかを抑えることがポイントだと説く長田氏。しかし、重要な課題にスポットライトを当て、打ち手を検討していった際、スモールチームだからこその弱点に陥ってしまうことも少なくはない。
「スモールチームのマーケティングにおける1番の弱点は、なんといってもお金ですよね。ひと昔前であれば自社商品をデジタルで宣伝するにあたって、バナー広告や、Webメディアでのタイアップ広告など、最低でも数十万円単位のお金が必要でした。しかし、今はGoogleのAdWordsだけでなくFacebook広告などでも数千円レベルから始められます。ただ、Facebookやインスタグラム、Twitterもお金をかけずに、企業アカウントを運用することはできますが、現在はアルゴリズムが働き、ユーザーと関連性の低い投稿は上位表示されづらい現状には注視する必要があります。」
「つまり、SNSは広告主にとってお金のかからないアーンド(口コミ)メディアと理解されていた時代もありましたが、いまはお金を投入しなければ訴求しにくいペイドメディアになりつつあるという側面があることも事実です。もし、SNSでお金をかけずに自社商品を訴求したいのであれば、いかに面白いもの、つまり、ユーザーの関心を惹けるコンテンツをつくれるかが重要となりますね。たとえば、Twitterで有名なシャープやタニタのアカウントは、国内のわかりやすい事例といえるでしょう。それぞれ、いままでの企業コミュニケーションにはない、ネットユーザーに好まれるフランクな投稿を実施し、絶大な影響力をもつようになった企業です。いまではファンの手により『シャープさんとタニタくん@』というWebマンガが執筆され、昨年、実際のコミックとして発売されるほどになりました。」
これは、企業の業績的に絶好調のFacebookに対して、いまいち振るわないTwitterも、まだまだマーケティングに有効なツールであることを示している。使い方次第では、大きな成果を得られるというわけだ。ユーザー側に立って、面白い、有益なコンテンツを届けることがメッセージの訴求に大きく影響してくるということである。
「オウンドメディアもそうですよね。ただ面白いだけの記事を出すだけではなく、読者に求められる情報をしっかり作っていくことが重要な時代です。たとえば、私は『北欧、暮らしの道具店』が最強のオウンドメディアのひとつだと思っています。まるでライフスタイルマガジンのような、素敵なサイトを運営しているのですが、コンテンツの基本は商品紹介。ECという彼らのビジネスと直結した内容でありながら、ユーザー目線で商品の使用感を伝えつつ、綺麗にスタイリングした写真を使って、エンターテインメントに昇華しているんです。普通に読んでいるのが楽しいだけでなく、それを読んでいる自分も好きになれるような構造になっている。」
DIGIDAY編集長が今注目するサービスとは
デジタルマーケティングの現状、スモールチームのデジタルマーケティングの活用における重要なポイントを伺ったところで、続いては、国内外のさまざまな事例を日々見続けている長田氏が注目しているツールやサービスについて話を伺った。
「昨年であれば"Snapchat"(編注:TwitterやFacebookと違い、送られてきたメッセージや写真、動画を1度見ると、数秒~数十秒以内に自動的に削除されてしまう、アメリカの若年層に絶大な人気を誇るメッセージングアプリ)に注目していました。Snapchatは送られてきたメッセージが“消えてしまう”。“消えてしまう”から“しっかり見なきゃいけない”という気持ちにさせられる。そこがすごく良く出来ているサービスだなと思っていました。
ところが現在ではSnapchatとほぼ同じ機能をもつ"SNOW"の台頭や、Facebookの"Slingshot"、"Instagram Stories"といった既存のSNSにも類似機能が搭載され、Snapchatへの包囲網ができあがっており、日本では拡大するスキマはなさそうです。あえて今、注目するツールとしてはインスタグラムです。」
「インスタグラムはブランディングの場として、一定規模のオーディエンスを獲得してきています。オーディエンス数で言えばFacebookですが、Facebookはクローズドなツールです。Twitterは、逆にオープンで、そこが良いところでもあるのですが、なんでもツイートできてしまうので荒らされやすく、ブランドセーフティ的にコントロールできないリスクもある。ですがインスタグラムはあくまでキレイな画像で勝負し、ブランディングに適していて、存在感を放っています。
加えて、広告の機能が拡充してきています。広告用のAPIが公開され、Facebookの持つターゲティング技術を用いて、ダイレクトマーケティングも行えます。さらに購入ボタンの表示、ランディングページへの遷移など、購入動線の提供も充実しています。2012年に行われたFacebookによるインスタグラムの買収は、非常に大きなシナジーを生んでいると言えるでしょう。」
書籍の中でも触れているとおり、Webサービスを取り巻く状況は刻一刻と変化している。そのため、常に新たなサービスに目を向けることは、先述した“ユーザーの求めるコンテンツを用意することがメッセージの訴求に大きな影響を与える”という面においても武器のひとつになりうる。
目標を明確に設定することで
データを正確に読み解く重要性
それでは、書籍の中でも大きく紙幅を割き、これからのデジタルマーケティングになくてはならない発想方法のひとつとして紹介している、“ユーザーインサイト”について、『DIGIDAY[日本版]』では、どのように捉えているのか、また、本書の読者であるスモールチームのメンバーに必ず活きてくる、今後のデジタルマーケティングにおいて、最も重要な発想について伺った。
「世界で最も価値のある企業となったAppleの創業者スティーブ・ジョブズが、製品づくりについて“人は形にして見せてもらうまで本当に自分の欲しいものがわからない”と語ったという有名なエピソードを考えると、データ分析だけにこだわりすぎても良くないとは思います。さまざまなデータを読み解いたところで、ユーザーの本心を100%理解できるとは限らないですから。」
「つまりデジタルマーケティングでも、私が担っているメディア運営でも、担当者である自分がスーパユーザーであろうとすることは大切だと思います。『DIGIDAY[日本版]』でも、誰でも知っているようなビッグブランドの事例や、Google・Facebook・Appleの動向を追った記事はもちろん人気です。その一方、誰もがうっすら感じているものの、誰もがまだ口にしていないことを掘り下げた記事は、大きな反響を得られます。ユーザーのことをしっかり観察して、データを分析し、洞察することも大事ですが、いちユーザーとしての自分を第三者視点で振り返って、そんな自分が実感として求めているものを掘り出すことも重要だと思っています。もちろん、私を含め、ほとんどの方がジョブズになれるわけではないので、データを使ったユーザーインサイトもとても重要なのですが。」
「また、これら重要性を増すデジタルマーケティングの考え方についてですが、一部の関係者のあいだでは、そう遠くない将来、“デジタルマーケティング”という言葉は消失すると、予想されています。なぜなら、デジタルで施策を打つことがいま以上に当たり前になり、シンプルに“マーケティング“という単語に集約されるからです。
高度にデジタル化することで得られる最大の恩恵のひとつは「数値化」でしょう。ユーザー行動や心理だけでなく、製造から販売まで、事業活動のすべてを数値ではかれるようになり、それぞれの因果関係を紐付けることができるようになるはず。
そのときに、重要性が増すのは目標設定です。さまざまな局面から送り届けられる数値を読み解いて、どのような状態を目指すべきか、しっかり見定めることが大切になると思います。」
数字をもとにした最近の事例として、長田氏は「小学館「コトバDMP」が示す、キーワードデータの可能性:データドリブンなコンテンツ開発」を挙げた。
http://digiday.jp/publishers/syogakukan-kotoba-dmp/
目先の数字だけに囚われず、その数字を立体的に見ることが重要だと続ける長田氏。トライアンドエラーを繰り返して、成功を引き寄せるというマーケティングの王道的な考え方こそが、デジタル時代のマーケティングのあるべき姿だと締めくくってくれた。
(写真:栗原洋平 文:パイ インターナショナル編集部)