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    作家と画家が考える「唯一確かなもの」〜『一本の木がありました。』くすのき しげのりさん×ふるやま たくさんインタビュー(後編)〜

    一本の木がありました。』のくすのき しげのりさんとふるやま たくさんの対談の後編をお届けします。(前編はこちらから)

    ーー絵本でお気に入りの場面について教えてください

    くすのき:最後の一本の木が若い木の支えとなる場面と、裏表紙のその若い木が大きく育っている場面ですね。支えていた木が育って、そこに一本の木が少しもたれかかっている様子です。そこからまた物語が続いていくような気がします。大きく育った木が木としての一生を歩んでいく途中です。一本の木がまた別の木の物語に繋がっていく様子が気に入っています。

    一本の木が若い木の支えとなる場面

     

    ふるやま:僕は「山奥の渓流を折れた木が流れていくページ」でしょうか。実は、最初に取り掛かったのは、この絵なのです。クランクインみたいなもので、緊張感も絶好調でしたから、そういった意味でも気に入っています。
    実はこの絵本の制作は、1ページ目から順に描くという方法をとりませんでした。ページだてをばらして、その日の心と体のリズムと相談して、描く見開きを決めました。
    あと、思い入れのあるページは、やはりクライマックスですね。おとなが見過ごしてしまうモノに子供はアンテナを立てますよね。そんな子供の「わ!いいもの見つけた!」という心の動きを表現したかったのです。

    古山さんが最初に取りかかったページ

     

    自由な視点から生まれた「物語る力のある」作品

    ーーお二人の周りには印象的な一本の木はありますか?
    くすのき:僕の家には古い大きなクスノキもありますし、春になったら満開の花を咲かす桜の木もあります。毎日見ていると色々と考えさせられますね。
    例えば桜の花が満開にさいて綺麗なのは人間が言っていることで、木は見てもらおうとかそんなことは思っていないわけで。クスノキもそうですね。幹を太くして、枝を張って、ただただ伸びようとしている姿なんですよ。『一本の木がありました。』でも一本の木がどんどんと色々なものが削ぎ落とされて最後一つの棒になるように、人間も色々なものを削ぎ落としていくとどんなシンプルなものになれるのかなと思いますね。僕であれば自分が作家である、ふるやまさんであれば画家であることとか、そういった中心的なものだけが残るのかな。

    庭のクスノキ

    満開の桜

     

    ふるやま:僕にとっては、岩手県人にとっても大事な盛岡にある石割桜ですね。でっかい岩の真ん中からどんと生えている大きな桜です。あとは小岩井農場にある、岩手山をバックに咲いている古い桜とか。やっぱり僕のルーツの岩手にある桜が、パッと思い浮かびます。絵本ではそのままそれらの木を描いてはないですが、思いを馳せながら描きました。
    山の方にアトリエがあるのですが、敷地の中に立っている山桜を毎回訪れるたびに見ていました。木の肌を触ってみたり、太い枝が落ちていると折れた口を見てみたりしましたね。

    盛岡の石割桜(古山拓・絵)

    岩手山を背景に咲く桜

    岩手山を背景に咲く桜(古山拓・絵)

     

    ーーお二人とも自然から与えられるものが多いのですね。

    ふるやま:絵描きをやっていて面白いなと思うのが、つい色々なものの目線に立って見る考え方が染み付いているところです。例えば昔僕のアトリエには流木がいっぱいあったんですけど、その流木から見たら人間ってどういうふうに見えるかなと。普段こちらが見ている気持ちになっていますけど、木から見たら人間ってどういうふうに見えているのだろうと考えていました。

    くすのき:その視点の自由さは、クリエイティブな仕事をする上でものすごく大事なことですね。僕が一番大事にしているのが自由であることなのですが、その自由であることの中でもふるやまさんがおっしゃるような視点の自由さや自在さは非常に大事なことです。

    ふるやま:だから今回の絵本では、例えば読んだ人が「木はこのときどういうことを思っているのだろう」とかそういうことを考えてもらってもいいわけですよね。吹き出しをつけて「こんなことを思っているんじゃないか」と想像してもらうような自由度を持って読んでもらえるといいですよね。

    くすのき:そうそう。逆にそうした自由な読み方をしなければ、物語の世界は広がらないと思いますね。この本には木にも人間にも台詞がないので、「お守りの木のペンダントを息子にあげたとき、なんて言いながらあげたんだろうか」とか色々な会話が想像できます。海に浮かんだ木に魚が寄ってくる場面では、この魚たちは何を考えているのだろうとか。
    『一本の木がありました。』は、言葉を減らして削っていくことによって世界を広げる、俳句とか短歌のような作り方をしました。言葉を重ねて広げてたくさん置いて、精密に描写し、雄弁に語るような物語ではありません。言葉を削ることによって逆に大きな世界が広がるため、子供も読めるし、中学生や高校生、大人、高齢者それぞれが色々な読み方ができる点こそが、作品の物語る力だと思います。
    物語るというのは心に窓を開けるようなものです。その窓からは、読者の目線の高さや立ち位置によって色々なものが見えてきます。例え同じ目線の高さでも、読む時の感情や気持ちの動きで見える世界が変わってくるのです。そうした物語る力のある作品を、今回本作で完成させることができてよかったです。

    ーー最後に読者へメッセージをお願いいたします

    くすのき:絵本として考えるとき、これほど絵がたくさんのことを物語る作品はそう多くありません。まずは、想像する力や共感する力、そして五感を働かせることによって豊かに広がる物語の世界をお楽しみください。そこから一人ひとりが、何か考えたり感じたりしていただけることがあれば幸いです。

    ふるやま:長年温めてきたメッセージをくすのき先生とタッグを組んだことで、一つの思いを世に出すことができました。一人では形にならなかったのです。人は皆、他の誰かとの関わりの中において、生きています。人はだれもが「メッセンジャー」だと思っています。親と子、友達と自分、上司と部下……などさまざまな関係のなかで誰かからメッセージを受け取ることもあれば、意図せずに誰かにメッセージを伝えることもあります。この絵本から「何か」を受け取って、それぞれメッセンジャーになっていってもらえたら、…それほど嬉しいことはありません。

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