『タイポグラフィ60の視点と思考』刊行記念インタビュー集 第2回:渡辺和音さん(前編)
エディトリアルデザインをベースにブランディングからWebデザインまでトータルで手掛ける株式会社There There。代表の渡辺和音さんに2回にわたってご登場いただきます。前編はデザインのつくり方やフォントへのこだわりについてお話を伺います。(取材日:2024年10月18日)
雑誌のエディトリアルデザイン
___はじめに、お仕事の内容やスタイルを教えてください。
基本的には雑誌のエディトリアルデザインの仕事が多いです。季刊誌の『TRANSIT』のほか月刊『HAIR MODE』という美容系雑誌と、隔月刊行される花の情報誌『フローリスト』が全体の半分ほど。もう半分で他のグラフィックデザインの仕事を手掛けています。VIやポスター、空間サイン、Webデザインなどトータルで世界感を作る案件など幅広く仕事をしています。
___雑誌のお仕事はどのような経緯で始まったのでしょうか?
『TRANSIT』は以前からデザイナーとして携わっていて、途中からADを担当しています。リニューアルするタイミングでお話をいただき、2021年の54号からThere Thereのデザインです。
『HAIR MODE』も独立前から関わりがありそのまま引き継ぎました。当時はADが3人いて3ヶ月に一度ADが交替したのでロゴも違っていましたが、それが切り替わって全てThere Thereで担当するようになりました。『フローリスト』は独立時に出版社へ作品を送ったところ、リニューアルするタイミングで、ご依頼をいただきました。
___エディトリアルデザインにおけるThere Thereの強みは何でしょうか?
本質が伝わるようなデザインを考えています。「こういう表現はいいよね」と深掘りしながら、適切な表現方法を探ってデザインをしています。
___具体的にどのような手法で進めていくのでしょうか?
表面処理のデザインではなく、「構造的なデザイン」で新しいものができないかと模索しています。どういう構築の仕方をすると新しくなるのかを考えるようにしています。
___「デザインの構造」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?クライアントとの対話の中で生まれるのか、リサーチして決めるのでしょうか?
一番大事にしているのは、「クライアントは何を求めているのか?」です。要望に対し、気持ち良い佇まい・新しい見え方になるにはどうすれば良いかを考え提案するようにしています。
例えば、2021年に完成した早稲田大学の国際文学館(村上春樹ライブラリー)を建築家の隈研吾さん・ブックディレクターの幅允孝さんと立ち上げから参加し、グラフィックやWEBを担当しました。オープンから数年後には年間通しての村上春樹ライブラリーの活動をA4・16ページほどの冊子にまとめたいとご要望いただきました。よくあるA4の中綴じ冊子では新しい動き方をしている館の魅力が伝わらないと感じ、佇まいから提案しました。サイズは四六判まで小さくし、ページ数は200P弱の書籍に構成を変え、台割・内容のところから見直しました。デザインの構造はその物の在り方を考えることかなと思っています。
___「表現」のための表現ではないということですよね?
表現することは、時代と共にどんどん変わっていくべきだと思います。スマホが主流になってきたり、若い人はテレビを見ない人が増えていて、感覚がだいぶ変わってきています。そこを踏まえたうえで、どうするのがベストな表現なのか考えるようにしています。
___感覚が変わってきている状況に対応する新しさを出すためにどのような工夫をしていますか?
過去から感覚が変わってきている部分をできるだけポジティブにデザインに反映するようにしています。
『TRANSIT』を例に挙げると、以前は毎号オリジナルで文字を作っていました。でも、雑誌はもう少し軽い佇まいにした方が自分は今っぽく感じて文字を書体で組むことにしました。文字を組むときもどういう書体やどういう組み方をすると新しく感じられるかを考えるようにしています。
「DESIGNTIDE TOKYO」のアートディレクション
___最近手掛けられた「DESIGNTIDE TOKYO」について教えてください。
「DESIGNTIDE TOKYO」は2005年から2012年まで毎年秋に開催されていたイベントで、今年12年ぶりに復活しました。僕はADとしてグラフィックを担当しています。若い世代にディレクターを一新し、過去とはどう違うアプローチをしていくかを意識しました。
「DESIGNTIDE」という言葉に「潮流」という意味を持たせているのですが、月の引力で流れが起きる大きい力をタイポグラフィで表現したいと思い、「潮流」をテーマにしました。会場で配るタブロイドのような紙媒体やWeb、会場グラフィックもすべて見る人のアクションで変動するインタラクティブなものを考えています。例えばWebの場合、ユーザーがスクロールすること、会場のグラフィックは近づいたり離れたり歩くことで文字が変動します。
___大変興味深いイベントです。ロゴも制作されたのでしょうか?
話をいただいたときから「変動するロゴマーク」と決めていました。書体が自立して多様な動きができるよう2000~3000くらいの膨大なウェイトを作成しました。残念ながらインタラクティブな方向に転換した際に考え方があわなくなり、大量に作ったウエイトは使わないことにしました。
桑沢デザイン研究所の学校案内
___これまで特に印象に残っているお仕事を教えてください。
一番は桑沢デザイン研究所の2022年の学校案内です。本ではなくもっと違うものにしたいと思い、プロダクトに近いものを想定しました。できるだけ本の佇まいから逸脱した考え方ができないかと模索しました。2011年に髙田唯さんが手掛けた頃からよくある学校案内ではなくなってきていて、デザインの表現の幅は広がっていました。クライアントを納得させるには難しい道だったと思うのですが、過去のディレクターたちが四苦八苦して作ってきたので、その中で自分がよいと思うものを作れる方向にしたいと思いました。
考えたのは、デジタルと認識していたものをあえてアナログの紙で表現することです。通常40ページの冊子を176ページまで増やして、ペラペラとめくって眺めても楽しい、本棚に並べていてもいい、もったいなくて捨てられない、背幅をとって束があるものを予算内で納める方向にもっていきました。学校案内という枠組み使って、今自分がいいと思うものをどのように表現し、体現してもらえるのか、それがデザインを志す学生に刺さるのではないかと考えて落とし込みました。
▼2022年 桑沢デザイン研究所学校案内書
___面白い発想です。ところで、渡辺さんはどのようなきっかけでデザイナーになったのでしょうか。
90年代のロンドンで活躍していたデザイナー集団「TOMATO」がきっかけのひとつです。テクノグループの「アンダーワールド」も所属していて、彼らのグラフィックや音楽・映像に触れて「こんなに面白いものがあるんだ」と思いました。マンガの影響もあります。弐瓶(にへい)勉さんという漫画家の作品で、ものすごい巨大な建物が出てくるマンガです。村上隆さんが展開している「スーパーフラット」のグループ展に弐瓶さんも参加されていて、見に行ったときに感動しました。友だちとデザインの面白さや、マンガや音楽について会話をしていく中で、こういうデザインができないかと考えるようになっていきました。その後桑沢デザイン研究所に入り、工藤強勝さんの元で勉強させていただきました。卒業後はスープ・デザイン(BOOTLEG)に入社し、ベースとなる文字やエディトリアル、空間デザインを勉強して独立しました。
インスピレーションの源は音楽から
___デザインのインスピレーションは、どこから得ることが多いでしょうか?
近い畑を見ても他人の回答になるので、書籍やSNSのグラフィックやデザインの参考にすることはしないようにしています。音楽の構成や考え方を参考にしていることが多いです。音を選択して、それを継いだり剥いだり引き伸ばしたり縮めたり連続したり、ピッチやリズムなどタイポグラフィと似ていると感じています。
桑沢デザイン研究所の学校案内は電子音のイメージから考えています。
社会に貢献するデザインをしたい
___今後チャレンジしてみたいお仕事があれば教えてください。
ジャンルにはそれほどこだわっていなくて、それよりも自分たちのデザインが社会にどのように貢献していけるかが大切だと思っています。自分たちでは容量的に足りてないと思えるような規模の仕事にチャレンジしたいです。社会にアプローチしつつ、誰かの目に触れたときにどう感じてもらえるかといった視点を大切にしていきたいです。
___これからデザイナーを目指す若い世代にメッセージをお願いします。
一番大切なのはやはり基礎の部分だと思っています。デザインの表現は自由だけど、その中でも「こうするとあまりよくない」、「こうした方がきれいだろう」というものが存在します。スポーツでも何でもそうですが、ルールを知らないとファウルを恐れて自由に動くこともできず、素晴らしいプレーはできません。分かっていてあえて外す事と、知らないで外しているのでは違います。自由に表現するためには、基礎の勉強は必要だと感じています。
___事務所の若い方と接する中で、ご自身と世代の違いを感じることはありますか?
それほど僕のときと変わらないと思うのですが、テレビを見なかったり、テレビすら持っていないと聞くと時代が変わっている気がします。とはいえ、若い世代はInstagramやほかのSNSで常に情報を拾っていく方法をよく知っています。世代とは関係なく、知見を広げていかないと化石化してしまうので、自ら広げていくように心がけています。
(後編に続く)